母里友信の墓

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母里友信(もり とものぶ)   1556〜1615 

但馬守。通称の母里太兵衛として広く知られる。播磨妻鹿(めが)の生まれで黒田孝高・長政二代にわたる家臣。「黒田八虎」の一人に数えられた勇将で槍術にすぐれ、栗山備後守利安とともに黒田長政の先手左右の大将を務め、朝鮮の役等数多くの合戦で活躍した。主君に向かって数々の直言・強諫も辞さない典型的な豪傑として知られ、福島正則から呑み取った名槍日本号を操り、黒田節にその姿を唄われたことで有名。
写真は福岡県嘉穂町の麟翁寺にある友信の墓で、法名は「麟翁紹仁」。

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