長編歴史小説
大坂の華
by 佐山 寛
第一章
左近と小十郎
一
慶長五年(一六○○年)春のあるの日のこと、近江の国・佐和山城下(現滋賀県彦根市)に程近い山道に、急な斜面を駈け上ってくる二人の剣客風の男の姿があった。見上げれば、澄み切った青空が広がっている。
「兄者、もう佐和山ですぞ。そんなに急がなくとも…」
「なんじゃ孫、もう息が上がっておるのか。無理をせずともよい、ゆるりとついて参れ」
兄者と呼ばれた方の男は背丈が六尺近くあり、見るからに筋骨隆々とした体つきの青年である。もうひとりは年の頃は二十過ぎ、少し体つきは太めで童顔ではあるが、剣術のたしなみのある者が見れば、一目でその尋常でない力量がわかる男であった。
この背丈の高い方の青年の名を風間小十郎という。彼の父風間平三郎は、亡き武田信玄幕下の名将・馬場信房の家来であった。信房は二十四年前の長篠合戦において戦死したが、平三郎は馬場軍のしんがりをつとめて最後の最後まで奮戦し、ついに力尽きて討死した。
このとき母きぬは小十郎を身ごもっていたが、奇しくも父平三郎の討死した時刻に丸々とした男児を出産したという。これが小十郎であった。悲しいかなきぬは、その三日後に長篠から命からがら逃げ帰ってきた馬場信房の家来、滝口某から平三郎の訃報を聞くやいなや衝撃のあまり卒倒し、そのまま息絶えてしまった。
こうして孤児となった小十郎は、母きぬの兄で京で印判師をしている直江喜左衛門のもとで育てられ、十二歳の時に喜左衛門の知り合いで佐和山城下のはずれで剣術道場を営む戎 源蔵という人物の門下に入門し、剣術の修行を始めた。
彼は天性の資質があったと見え、十八歳になる頃には居並ぶ戎門下の高弟達でさえ、三本に一本程度しか打ち込めぬような腕前になっていたという。
さて、この小十郎が今目指しているのは、佐和山城主・石田治部少輔三成の筆頭家老である島左近勝猛の屋敷である。昨日、左近より小十郎を島屋敷に寄越すよう戎道場に依頼があり、門弟の柏原孫市とともに島屋敷へと向かう途中であった。
ここで島左近について少し述べておこう。彼は大和の国の生まれで、元は筒井順慶の家来であったが、筒井家を出てからは故豊臣大納言秀長(太閤秀吉の異父弟)に仕え、その後に現佐和山城主・石田三成に高禄で召し抱えられた。三成は故秀吉の寵臣で豊臣家五奉行の一人に数えられ、その政治手腕は後世にも認められた人ではあるが、惜しいかな、やや冷徹で高慢な性格が災いし、人望が薄いのが致命的であったと伝えられる人物である。
「家康に過ぎたるものが二つあり。唐の頭に本多平八」
という有名な文句があるが、三成にも
「三成に過ぎたるものが二つあり。島の左近に佐和山の城」
という有名な文句が残されている。島左近は三成に見いだされたとき、当時の彼の所領近江水口四万石のうち、何と一万五千石という破格の高禄で召し抱えられたのである。この待遇には左右の人々はおろか、秀吉までが仰天したものであるが、当の三成は、
「左近はわしには過ぎたる男じゃ。この禄高ほどでよいのなら安い買い物じゃ」
と言っていっこう意に介する風はなかったという。そして左近は今や三成の、いや佐和山石田家の軍事・諜報面の総司令官となっている。石田家には他に蒲生郷舎や舞兵庫という有能な武将たちがいるが、何と言っても左近の方が一枚も二枚も上手、その存在は全国に知られているほどであった。
その島左近から師の源蔵を通じて突然の呼び出しを受けた小十郎は、今佐和山城下への入口近くへやって来たところである。左近の屋敷は佐和山城内・三の丸にある。もうここから一里とは離れていない。
なぜこの時期に小十郎が、面識すらない左近から名指しで呼び出されたのか。歴史に少し詳しい読者ならばおわかりであろうと思うが、この慶長五年は、かの関ヶ原の戦いの起きた年である。先の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)以来、三成や小西行長らのいわゆる文治派と加藤清正や福島正則ら武断派の対立が激しくなり、一触即発の状況にあった。そして、武断派の後ろ盾には内府・徳川家康がいるのである。三成は左近に命じ、内府・家康と雌雄を決するべく立ち上がりつつあった。彼は豊臣家に害をなす(と三成は信じている)家康を消してしまいたかったのだ。
三の丸の島屋敷の前に来たとき、中から男がひとり音もなく現れた。身なりは小ざっぱりとしているが、その身のこなしには寸分の隙もない。小十郎は思わず気を引き締めた。
男は人なつっこい微笑みを浮かべながら言った。
「風間小十郎殿でありますな。先程より左近の殿がお待ちかねじゃ、どうぞお入りくだされ」
「・・・」
「お疑いには及びませぬ。私は左近の殿にそば近く仕える前野重吾と申す者、詳しくは殿よりお言葉がありましょう」
「そうでしたか…。いや、失礼いたしました。では、ごめん」
軽い会釈をして小十郎は孫市とともに島屋敷へと入っていったが、重吾はまだそこに立ち、彼らの後ろ姿をじっと眺めていた。
「ふむ、良い男ぶりよのう…。さすがは左近の殿じゃ、まずあの男ならば…」
つづく
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