長編歴史小説
大坂の華
by 佐山 寛
第一章
左近と小十郎
二(つづき)
俊房が今命じられていることは、もし石田三成と一戦に及ぶとしたとき、まず石田方につくと思われる大名とその軍事力を調べることであった。三成は家康を露骨に嫌っている。家康も目障りな三成を滅ぼしたいのだが、まだその大義名分がない。そこで秀吉以来(秀吉没後は秀頼)、許可無くしては厳禁されていたにもかかわらず、公然と他大名との姻戚関係を結び始めたのである。先方の大名にすれば、相手が家康ではまさかいやとは言えないであろう。家康はそれを見越した上で、伊達家・福島家・蜂須賀家と姻戚関係を結んだ。
伊達家は奥州の名家であり、政宗は全国にその勇名をとどろかせている。その政宗の娘を家康の六男・松平忠輝の夫人として迎えた。次に福島家は当時尾張・清洲二十四万石で、当主正則は故秀吉の子飼い大名の中では加藤清正と並び、トップクラスの軍事戦闘力を持っているが、その正則の息・忠勝に家康の養女(久松康元の女)を嫁したのである。そして、蜂須賀家は四国の重鎮である。ここへは家康の孫女の婿である小笠原秀政の女を養女にして、当主家政の息・至鎮に嫁したのであった。
家康の狙いは三成を怒らせることである。家康にしてみれば、このような約束などは秀吉個人とかわしたものであって、秀頼ましてや三成と約束したわけではない。秀吉が死んだ今となっては反故に等しいわけである。さらに先の朝鮮戦争以来の、三成や小西行長らと加藤清正・福島正則・黒田長政らの対立を収め得るのは自分をおいて他にはいないことを自負している。
三成や秀頼では世は治まらぬことが明白である以上、今後の無用な戦を避けるためにも自分が今起つべきだと信じている。
左近は言う。
「小十郎よ、よく聞いてくれい。昨今の内府(家康)の行状を見るに、自らが天下人にならんとしていることはもはや誰の目にも明らかじゃ。
よいか、わしが言いたいのは、内府が天下人になってはならんということではない。いや、内府こそそれにふさわしい人物であろうとは思う。だがわしは、わが殿三成公には武士としての深い義理があるのじゃ。
わしが石田家に召し抱えられたときの約束は、殿とは石高折半ということであった。こんな話はわしもいまだかつて聞いたことがなかったので驚いた。殿はな、この佐和山十九万石に封ぜられたとき、わしに何と九万石を取れと仰せられた。
もちろんそのような話は受けるわけには参らぬが、士は己を知る者のために死ぬ…わしはその時、この殿と心中してやろうと心に決めたのじゃ。むろん知っての通り殿には内府と互角に戦えるような力はない。
なるほど、治政にかけては内府に決して劣らぬであろう。いや、農民を慈しみ育てることにかけては内府も遠く及ばぬかもしれぬ。だが、あの性格ゆえ殿には人望がない。それに加えて大坂のおふくろ様(淀の方)は、いまだに徳川家は豊臣家の家臣で、秀頼公の命令には従うものと思うておる。感情の上ではそうであろうが、まったく世の中というものが見えておらぬ。
まだはきと聞いたわけではないが、殿はそのおふくろ様を後ろ盾にして、おそらく上杉景勝公あたりと語らって内府と一戦に及ぼうとしておるようじゃ。殿と直江山城守殿(景勝の家臣)は以前より昵懇の仲ゆえな。だが景勝公自身が采配を執られるのならまだしも、殿では他の大名がついては来ぬ。唯一の望みは島津家じゃが、殿のご器量では島津の御老公(義弘)は動くまい。腹をうち割って戦える味方といえば、小西摂津守(行長)殿か大谷刑部少輔 (吉継)殿くらい…」
「左近様、お待ちください。少し話が大き過ぎます。私ごとき一介の剣士に如何ほどのことが出来ましょう。家康公が一人で出歩かれるならばまだしも、身辺に近づくことすら…」
「小十郎よ、手だてはちゃんとわしの胸に用意してある。むろん、内府はそう易々とは討てまい。それは重々承知の上じゃ。まずは内府の身辺の甲賀忍者どもを消さねばならん。むろん殿には内密にな。たとえしくじろうと、いかなる責めもこの左近が請け負う。頼む、重吾とともにわしを助けてくれい」
左近はじっと小十郎の目を見つめた。重苦しい時間が過ぎてゆく。小十郎はおもむろに口をひらいた。
「微力なれどそのお役目、お受けつかまつります」
つづく
BACK 目次に戻る NEXT