長編歴史小説
大坂の華
by 佐山 寛
第一章
左近と小十郎
三
小十郎は左近の家来として召し抱えられた形となり、長屋を一つ与えられた。もちろん孫市と一緒である。数日して長屋の暮らしにもようやく慣れた頃、左近から呼び出しがかかった。
屋敷に行くと、左近はこう言った。
「小十郎よ、内府が動き出したようじゃ。徳川忍びどもがしきりと街道筋に現れておるそうな。会津の景勝公と抜き差しならぬことになっていると知らせがあった。内府は我が殿(三成)が上杉と語らって兵を挙げると見ておるようじゃ。事実そうなるじゃろうが、殿を暗殺すべく本多佐渡が忍びどもを差し向けて来るおそれがある。あやつらにうろつかれると、殿と山城守殿(直江兼続)の間の連絡を断ち切られてしまう。そうなると、ちと面倒じゃ。重吾とともにまず、その忍びどもを消してくれい」
「承知いたしました。で、重吾殿はいずれに」
「昨日より下忍びを集めに出ておる。今夕には戻ろう」
「では私はどうすれば?」
「長屋で待っておればよい。重吾を向かわせる。ところで小十郎、わしと戎源蔵のことじゃが…」
「私もそれをぜひお聞きしたいと思っておりました。我が師源蔵はいたって口数が少のうございまして、生国すらうかがっておりませんでしたから」
「源蔵殿もわしと同じ大和の国の生まれでのう、わしがまだ筒井家におった頃のことじゃ。わしは柳生石舟斎先生(柳生宗厳・剣術柳生新陰流の祖)から剣を少し学んだのじゃが、そのとき一緒に源蔵殿とよく道場で稽古をしたものじゃ。わしはどうも剣の奥義は極められそうにないたちでの、よく女遊びもしたものじゃ。わしに比べて源蔵殿は剣の筋がよく、石舟斎先生から折り紙をつけられるほどの腕前になったのじゃが、それがいけなかった。彼をねたむ門弟どもと、真剣勝負をするはめになったのじゃ。もちろん石舟斎先生には内緒でな。源蔵殿は門弟たち三名と立ち会い、三名とも斬り倒したのじゃが、それによって柳生を破門になっての。以来佐和山で道場を開いて生計を立てておるのじゃ。あのことさえなくば、今頃はどこぞの大名家の剣術指南役くらいにはなっておったものを…」
「そうだったのですか。でも、左近様はなぜ私をご指名に?」
「それには少しわけがあるのだが、今は言うまい。いずれ説明しよう」
「では、わたしはこれで」
「うむ。後で重吾を差し向ける。頼んだぞ」
島屋敷を後にした小十郎は、長屋へ戻った。孫市はここのところ暇を持て余しているようである。彼は小十郎に深く傾倒しており、実の兄弟ではないが、いつも小十郎のことを兄者、兄者と呼び慕っていた。
「兄者、退屈で仕方ありませんね。立ち会い稽古でもつけて下さいよ」
「孫よ、我らは極秘のお役目についておるのだぞ。石田家にも内府の隠密が入り込んでいるやも知れぬ。目立たぬがよい。そのうち忙しくなろう」
ようやく日も暮れた頃、前野重吾がやって来た。彼の下忍びであろう、五名の手下を連れていた。
「遅くなりました。これなるは私の忠実な部下達です。早速仕事にかかりましょう」
重吾と小十郎、孫市、そして五名の忍びたちは夜の更けるまで念入りに打ち合わせを行った。重吾の語るところによると、家康周辺には現在百余名の忍びが動いているという。そのうち約半数の五十名ほどは姿を変え、大名家に入り込んでいたり、商人・寺僧や浪人姿となって要所に散っており、毎日のように諜報活動を行っている。そして、その活動が近ごろ特に目立って来ているというのだ。
つづく
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