長編歴史小説
大坂の華
by 佐山 寛
第二章
死 闘
一
二日後の早朝、いや現在の時刻でいう午前三時頃であったろうか、急に左近は林田小平太と風間小十郎を居間に呼んだ。
「突然じゃが、これから大坂の大谷屋敷へまいる。その方たちは供をせい。して、小平太よ」
「はっ」
「こちらへ戻る際には、大谷刑部少輔どのもご一緒されるやもしれぬ。弥平に申しつけて、大谷殿の好物の大鯉を調達しておくよう取りはからえ」
「ははっ。承知いたしました」
「半刻のちには出かけるゆえ、両人とも馬にてついてまいれ」
「ははっ」
小平太は自分の長屋に戻ると、寝ていた弥平を起こし、言った。
「殿より大谷刑部少輔どのご接待につき、大鯉を調達せよとのことじゃ」
「はい、ただちに」
「弥平よ…」
「…?」
急に、言葉が途切れた。小平太の口唇のみが動いている。これは忍者たちがよく会話に用いる、[読唇術]である。まったく声がしないので、会話を漏れ聞かれる恐れはない。
「あの風間小十郎という者、ただ者ではない。我々を始末せんがために、どこからか雇い入れたものではないかと思われるふしがある」
「そういわれれば身のこなしに隙がありませぬな」
「わしは彼奴をどこかで見たような気がするのだが、思い出せぬ」
「小平太殿、もしや戎道場の…。私が以前使いをしたときに見たような気が」
「ふうむ。ま、いずれにせよそのようなことなぞどうでもよいわ。それよりも弥平、彼奴の連れも相当遣うようじゃ。心せよ」
「承知」
「ところで、例の者たちへの連絡は?」
「さよう、そろそろ今日あたりにはこちらへ到着するかと思われますが、何分石田方の目も光ってござる故…」
「うむ。佐渡殿(本多正信)も言っておられたが、もう猶予はならんとな。上杉(景勝)がそろそろ動き出しておるようじゃ。牢人どもを集め出しておるうえ、城の修築を急いでおるらしい」
「新手が来ればこちらの方は大丈夫で。こたびは遠く薩摩の地よりも十名ほど腕利きが」
「ほう、それは有り難い。ではしかと頼んだぞ」
それから半刻の後、島左近主従は小十郎・小平太を含め、総勢十騎で屋敷を出て大坂へ向かった。しかし、この時もう既に佐和山城下に徳川方の新手忍者群二十名余が山中俊房の手から送り込まれていたとは、さすがの重吾も気付いていなかった。
この忍者群は重吾を抹殺するために派遣されたのではない。そう、彼らは石田方の大黒柱・島左近の抹殺のために、俊房が薩摩の忍びの頭領に話をつけ屈強の忍び十余名を差し向けてもらい、さらに自分の配下から特に腕の立つ忍びを加えた総勢二十名余である。この新手忍者群は、現在の徳川方でも最強の忍者群である。
ひと口に忍者と言っても色々な役割があり、我々が今日イメージしているような、手裏剣を飛ばし煙玉を破裂させて戦うというものだけが忍者ではない。敵国に種々様々な風体で忍び込み、情報を集める。百姓・山伏・木こり・商人…剣術道場主や絵師、雲水にまでなったりする。
しかもこれらを代々に渡って受け継いでいる者もいるのである。つまり、何十年もかけて子や孫の代になっても、たったひとつの情報をよこすためだけに使われる場合もあるのだ。これではいくら慧眼の主であれ、見破ることなどまず不可能である。
つづく
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